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大日本国郡精図「明智光秀に縁のある国」7図セット(個人利用版)

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「大日本国郡精図」は明治11年(1878)に発行された、国別の郡と主要町村が記された地図です。
明治12年(1879)には郡区町村編制法により郡の再編が始まり、明治22年(1899)の市制町村制の施行、昭和の市町村合併、平成の市町村合併を経て、現在では地域の郡が分かりにくくなっています。
大日本国郡精図は江戸時代の「国郡」の現況図であると言えます。
各図は郡別に色分けされ、当時確定していなかった府県の管轄、大学区、郵便局、鉱山、村数、人口、石高、国の神社、名山、大川、温泉、おもな産物などが記されています。

本商品は、「大日本国郡精図」のうち、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀に縁(ゆかり)のある7つの国をセットにしています。

【美濃国】
明智光秀の出自は謎だらけです。一説によると、1530〜1540年頃、美濃の明智家に生まれ育ち、斎藤道三に仕えていたそうです。
【越前国】
1556年、斎藤道三と義龍父子の合戦による明智城の落城後、光秀は妻とともに越前へ逃れたといわれています。越前では約10年を過ごし、娘の玉(ガラシャ:細川 忠興の正室)を授かったほか、足利義昭や細川幽斎らとも出会ったそうです。
【若狭国】
織田信長に仕えた光秀は、朝倉氏討伐のため若狭に入り、1570年の金ケ崎での撤退戦などで活躍しました。
京都 ( 【山城国】 【丹波国】 【丹後国】 )
1582年6月2日、羽柴秀吉の毛利征伐の支援を命ぜられた光秀は、本能寺の変を起こし、主君織田信長を自害させました。
【摂津国】
それから11日後の1582年6月13日、光秀は、中国大返しを強行した羽柴秀吉と、摂津国と山城国の境で激突しました。いわゆる天王山の戦い、山崎合戦です。

データ:ダウンロード販売
原本サイズ:和装B6判、見開きB5判180×250mm
7図セット 【美濃国、越前国、若狭国、山城国、丹波国、丹後国、摂津国】
表紙・題言・凡例・奥付
データサイズ:各3508×2525pix、72dpi(300dpi設定で約A4サイズ)、約10MB
データ形式:JPEG ※zip圧縮
発行年月:明治11年(1878)4月
編:竹岡礼蔵
発行:同盟書楼
所蔵・文責:齊藤忠光

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